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上野の国立科学博物館でやっていた空と宇宙展に行きました。
空と宇宙展というので日本を含めた世界の飛行機や宇宙開発の歴史だと思っていたので私はスプートニクやライカ犬、ヴォストークやヴォストークに乗っていたガガーリン、アポロやアポロの月面着陸に関する展示もされているのかと思っていたのですが、日本の飛行機や宇宙開発の歴史がメインでした。
しかし、最初の 方の展示に紅毛雑話という、天明7年(1787年)に書かれた西洋のの事情が書かれた本にはオランダのリユクトスロープ、リユクトバルという飛行船や気球に関する記事や図が飛行の器として紹介されていました。
1782年にフランスのモンゴルフィエ兄弟が気球の打ち上げに成功しました。
明治10年に西南戦争が勃発した時に熊本城が薩摩軍に包囲されたので連絡を取る為に陸軍が実用気球の開発を依頼しました。
工部大学校(後の東京帝国大学)学生だった明治の高名な学者の志田林三郎と高峰譲吉が気球を開発しました。
陸軍と海軍でも気球を開発し、陸軍では伝統音楽音階研究で名高い上原六四郎が中心となって気球を開発しました。
上原六四郎の写真と上原六四郎への陸軍士官学校気球の開発命令書の書簡が展示されていました。
明治時代の気球飛行の図という版画がありました。
二宮忠八(1866-1936)は早くから空に興味を持ち、鳥型飛行器を開発し、後に飛行作業で殉職された方達の為に京都府八幡市に飛行神社というものを建てました。
二宮忠八はカラスやタマムシなど「自然」に学び、鳥型飛行器と玉虫型飛行器の研究をしました。
鳥型模型飛行器(複製)と玉虫型模型飛行器と二宮忠八の写真と書簡が展示されていました。
玉虫型模型飛行器の操縦席には分かりやすいようにか、人形まで乗っていました。
1903年12月17日、ライト兄弟が初めての有人動力飛行を成功させました。
日本では 臨時軍用気球研究会では、東京帝国大学工学部の卒業生など、飛行機開発に知識を持った人材を集め、積極的に海外に留学させるなど、外国の知識の貪欲な吸収を試みました。なかでも研究会委員であり、フランスとドイツに留学した徳川好敏、日野熊蔵の2名の陸軍大尉は、航空機の研究開発に深く関わるとともに、1910年の日本初飛行のパイロットを務めました。
徳川好敏はフランス製のアンリ・ファルマン複葉機に、日野熊蔵はドイツ製のハンス・グラーデ単葉機に搭乗し、それぞれ国内初の飛行に成功しました。
日野熊蔵は何回か飛行機の開発に携わっていました。
徳川好敏という方も何回か飛行機の開発に挑戦していますが、残念ながら失敗に終わっていますが日本の飛行機の開発の歴史に貢献しました。
ハンス・グラーデ機やアンリ・ファルマンなどのプロペラも展示されていて、実際に動いていました。
エンジンも展示されていました。
日本の名機がいくつか展示されていて、そのうちの一つの奈良原式4号機「鳳号」の模型が展示されていました。
奈良原式4号機「鳳号」の模型の横にOTORIという文字が見えます。
空と宇宙展は2/6までやっていました。

空と宇宙展
http://sora-uchu.jp/
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