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引っ越し先の近所の方達に配るお菓子を買って来てくれました。
お菓子を買う前に母がのしに何か書く必要があるか彼のお母様に聞くように言われたので私は彼に引っ越し先の近所の方たちに配るお菓子ののしに何か書く必要があるかというメールを送ると、彼から母に聞いてみるというメールが来ました。
しばらくして、彼から何も書く必要は無いというメールが来ました。
私は母に何も書く必要は無いと言いました。
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母と引っ越しに必要な買い物に行きました。
去年の11月にニトリの赤羽店で布団やたこ足ハンガーを買いました。
布団は引っ越す日の去年の11月23日に引っ越し先に送るように頼みました。
私は最初、駅から近いのでニトリのららぽーと新三郷店で買い物をしようと思いましたが、買い物をする前に姉から電話があり、ニトリのららぽーと新三郷店はららぽーと新三郷店のショッピングモールにあるのでお店の規模は小さい、近くにあるIKEAのほうが規模が大きいが、家具の組立てを自分でしなければならず、配送をしていないので義理の兄に車で家具を送ってもらおうかと言われましたが、私は大丈夫だと言いました。
私はニトリの赤羽店に電車で行くと姉に言いましたが、姉はニトリの赤羽店は電車の乗り換えが大変なのでバスで行った方がいいと言いました。
私はインターネットでニトリの赤羽店のバスの行き方を調べ、時刻表を調べ、メモをしました。
ニトリの赤羽店に行く前に銀行に寄り、指定された口座に引っ越し代を振り込みました。
ニトリの赤羽店に行く前に、姉からニトリの赤羽店にクリスマスツリーがあるか見て欲しいという電話がありました。
ニトリの赤羽店は自転車で行けない事もありませんでした。(姉の高校が近くにあり、姉は自転車で高校に通っていました。)
ニトリの赤羽店は規模が大きく、お店が2階までありました。
ニトリの赤羽店でパソコンが置ける机を探しましたが、いい机があったのですが、折りたたむ時に指をはさみそうになって危なかったので他のお店で机を探す事にしました。
引越し屋さんから電話がありました。
引越し屋さんは見積額をおっしゃり、私はそれでいいと言いました。
引越し屋さんは去年の11月14日の午前中に宅急便でダンボールを送るとおっしゃりました。
わたしがそこの引越し屋さんを選んだのはダンボールがタダだからです。
その日は私は出掛けたのですが、私が出掛けた後で宅急便でダンボールが送られて来て、家に帰ると父がダンボールはベランダに置いてあると言いました。
後になってダンボールに引越し代の書かれた振込用紙があったのに気が付きました。
11月20日までに指定の口座に振り込むようにという紙も同封されていました。
グアンロンはティランノサウルス類の祖先です。
復元模型の羽毛の色が鮮やかです。
去年の12月19日に母から電話がありました。
母は会社から離職票が届いたと言いました。
私は会社から離職票を送って来るとは思わなかったので驚きました。

父は社長から電話があり、社長が田舎暮らしのサイトがうまく立ち上がらないので12月16日に会社に来て欲しいと言っていたと言いました。
私は父にあれ(11月25日)から随分経っているので社長でどうにかならなかったのかと言いました。
父は社長が1時に11月25日待ち合わせた喫茶店で待ち合わせをする事になったと言いましたが、私は田舎暮らしのサイトを見るだけだったら直接会社に行った方がいいと言うと、1時に会社に行く事になりました。
12月16日の12時半に11月25日に待ち合わせた所で父と待ち合わせをしました。
まだ1時になっていませんでしたが会社に行きました。
社長は今は仕事が無いので会社を辞めない方がいいとおっしゃりました。
社長はこれから仕事が出て来ているので会社を辞めない方がいいとおっしゃりました。
社長は私にこれからどうするのかと聞かれたので私は私に合った仕事を探してくれる施設に通うつもりだと言いました。
私は辞表と保険証を送ったじゃないですかと言うと、社長はこの期に及んで今なら返す事が出来るとおっしゃりました。
社長は田舎暮らしの分の払った給料を返せるのかとおっしゃりました。
社長は弁護士に相談して私が父に相談しなければ私の立場が有利だったが、父に相談したので私の立場が不利になったとおっしゃりました。
私は社長になぜ離職票を送って来ないのかと言うと、社長は11月分の勤務表をもらっていないので、11月分の給料を支払えないからだとおっしゃりました。
私は11月分の給料はいらないと言いましたが、社長はそういうわけには行かないとおっしゃりました。
社長は私がかわいいとおっしゃりました。
私は社長が愛人になれとおっしゃったじゃないですかと言うと、社長は私が愛人になりましょうかと言ったじゃないかとおっしゃりました。
私は社長に抱き付かれたと言いました。
社長は何かあったらまたお父さんに言えばいいじゃないかとおっしゃりましたが、私はある人に相談したらそういう人は同じ事をまた繰り返すと言っていたと言いました。
社長は反省どころか自分は全く悪くないとおもっておられたのか父の前でまたあの事を持ち出されました。
私は社長にあれ(11月25日)から随分時間が経っているので社長で田舎暮らしのサイトがどうにかならなかったのかと言うと、社長は暇じゃない、PHPは難しいとおっしゃったので、私はPHPはC言語よりも簡単じゃないですか、社長はC言語を勉強されたじゃないですかと言いました。
話し合っている途中で社長に電話があり、社長が電話を終えると新しい事務所を見て来るとおっしゃりました。
父は来年引っ越すのかと聞くと、社長は年内に引っ越すとおっしゃりました。
社長は私にPHSがつながるようにするようにとおっしゃりましたが、私のPHSは社長のPHSの番号の着信拒否を解除していました。
社長は私のPHSに電話をかけられて、私が電話に出たのを確認されました。
結局、田舎暮らしのサイトの立ち上げには経理の方が会社にいる時にする事になりましたが、私は経理の方が本当に会社にいるか分からないので、経理の方の携帯に電話をして会社にいるかどうか確かめようと思いましたが、私は経理の方の携帯の番号を知りませんでしたが、私の机の上に経理の方の携帯の番号が書かれたメモがあったのを思い出し、私の机の上を捜すと、経理の方の携帯の番号が書かれたメモがありました。
社長は私に何をやっているのかと聞かれたので私は私物を持ち帰っていると言いました。
社長は引っ越す時に机の中の物は全部処分するとおっしゃりました。
私は家に帰り、PHSに経理の方の携帯電話の番号を登録しました。
父は社長から電話があった、社長は辞表と保険証を会社に送るように言っていたと言いました。
父は書留で送った方がいいと言いました。
私は社長が私が会社を辞めていいという言い方をされたみたいなので驚きましたが、私はいっその事、幽霊社員として在籍し続けようかと思っていたので(社会保険とか厚生年金に入っているので)少し寂しく思いましたが、先生がそういう人は同じ事をまた繰り返すとおっしゃっていたのを思い出して辞表を書く事にしました。
私は便箋と封筒を買い、次の日、インターネットで辞表の書き方を調べました。
私は辞表の書き方の載っているホームページを見て辞表を書きました。
正確には辞表は取締役クラスの地位を持つ方が提出するもので、退職願は一般社員が提出するものです。
私は郵便局に行き、書留で辞表と保険証を会社に送りました。

辞表ドットコム
http://2hyo.com/
私は先生に症状を説明すると自分の弱点を知る必要があると言われ、アスペルガー症候群は入力に問題があると言われました。
大人のアスペルガー症候群の本を見せられて大人のアスペルガー症候群の本を読むように言われました。(加藤進昌という方が書かれた本です。)
私は先生に会社を休んでいる事を言い、私は社長の事が信用出来ないと言うと先生はセクハラだろう、そういう人はまた同じ事をやるので会社を辞めた方がいいとおっしゃりました。
結局、私がアスペルガー症候群と診断されませんでしたが、大人のアスペルガー症候群の本を読もうと思いました。
帰りに池袋のヤマダ電機に寄り、使わなくなったPHSのデータカードを引き取ってもらいました。
たんすケータイあつめタイというキャンペーンを3月1日までやっており、新規契約か機種変更する時に2,500円以上の携帯電話を購入すると最高5万円の商品券が当たるゴールドコースの応募券がもらえます。
新規契約か機種変更する時に2,500円未満のの携帯電話を購入するか、古い携帯電話かPHS、データ通信カードを引き取ってもらうだけでも1,000円の商品券が当たるシルバーコースの応募券がもらえます。
応募券にはシリアルナンバーと携帯電話からも応募出来るQRコードが印刷されています。
シリアルナンバーからはパソコンから応募券に書かれたURLにアクセスしてシリアルナンバーを入力します。
私もパソコンからシルバーコースの応募券に書かれたURLにアクセスしてシリアルナンバーを入力しましたが、はずれてしまいました。
PHSを機種変更した時に古いPHSを持っているのでそれを引き取ってもらおうと思います。
去年の12月2日に家の近くの本屋さんに行き、先生がおっしゃっていたアスペルガー症候群の本があったので買いました。
家の近くに先生がおっしゃっていたアスペルガー症候群の本があって良かったです。
先生がおっしゃっていたアスペルガー症候群の本は100ページ位で絵が多くて読みやすかったので1日で読み終わりました。
先生がおっしゃっていたアスペルガー症候群の本にはアスペルガー症候群の特徴に私に当てはまるものもあれば当てはまらないものもありました。
新宿本屋さんにアスペルガー症候群の就労支援の本があったので家の近く本屋さんにアスペルガー症候群の就労支援の本があるかもしれないと思い、家の近くの本屋さんにアスペルガー症候群の就労支援の本があったので去年の12月4日にアスペルガー症候群の就労支援の本を買いました。
アスペルガー症候群の就労支援の本も100ページ位で絵も多かったので1日で読み終わりました。
私は長く働きたく、アスペルガー症候群の人はどんな仕事が向いていて、アスペルガー症候群を理解してくれる職場に就職したいのでアスペルガー症候群の就労支援の本を買いました。
先生がおっしゃっていたアスペルガー症候群の本の1番最後に有料のアスペルガー症候群の支援機関の事が書かれていたので有料のアスペルガー症候群の支援機関のホームページを見ると初回の相談料が5万円だったので有料のアスペルガー症候群の支援機関に相談するのは諦めました。
私はアスペルガー症候群の就労支援の本に無料で相談に乗ってくれる機関があったのでインターネットで調べて無料で相談に乗ってくれる期間を調べましたが、実際に相談するのは会社から離職票をもらってからにしようと思いました。

たんすケータイあつめタイ
http://tansu-keitai.jp
私は11時半に父と待ち合わせをしました。
父が電車が遅れたというので11時45分頃に到着しました。
父は仕事を抜け出して来てくれました。
お昼に会社の近くのラーメン屋さんに入ろうとしたら(そこは3年前に今の会社に引っ越した直後の帰社日で会社に集まれる人だけ集まり、その後にそこのラーメン屋さんに行きました。私はそこのラーメン屋さんには1回しか行った事がありません。)混んでいたので別のラーメン屋さんに行きました。
ラーメンを食べ終わりましたが、まだ時間に余裕があったので近くの丸井に寄りました。
1時少し前に喫茶店の前に行きました。
社長はまだ来られていませんでした。
私は社長のPHSの番号の着信拒否を解除しました。
喫茶店の前で待っていると社長が来られました。
社長は田舎暮らしのサイトの作成が開始された去年の2月から今までの私に払った給料の額の一覧を父と私に見せられました。
引き継ぎの話になり、田舎暮らしのサイトはほぼ完成していて、引き継ぐ事はほとんど無いと言うと社長は田舎暮らしのサイトを運営したらトラブルが発生するかもしれないので私に1ケ月は対応して欲しいとおっしゃりました。
喫茶店では話し合いが終わらなかったので会社で話し合いました。
社長は電話はつながるように、嫌なら嫌だとはっきりいうようにとおっしゃりました。
社長はそんなんだと結婚しても上手く行かないとおっしゃりました。
私はどうしても社長と2人きりにはなりたくない、自宅待機の方達に仕事の引き継ぎをしたいと言いました。
社長はあまり悪い事をされたと思っていないようでした。
社長は父に謝罪をし、脅迫めいた手紙を送られた事を認められました。
また話し合いをする事になり、父は社長に私のPHSには電話をしないように何かあったら家の電話に電話をするようにと言いました。
会社を出ると父は考え直すように言ったので私は前にも謝罪したので信用出来ないと言いました。
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