忍者ブログ
[127] [128] [129] [130] [131] [132] [133] [134] [135] [136] [137
カレンダー
02 2026/03 04
S M T W T F S
2 3 4 6 7
9 10 11 12 13 14
16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリー
最新コメント
最新トラックバック
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
空と宇宙展を十分に見る事が出来ず、閉館が5時半だったので最後の方はちゃんと見る事が出来ませんでした。
少し見え辛いですが霧ヶ峰式鷹7号グライダー(電建号)と書かれています。
PR
小惑星探査機はやぶさの実物大の模型です。
はやぶさの実物大の模型は大き過ぎて遠くから撮らないと全部入り切りませんでした。
小惑星イトカワの上に隼が乗っている模型もありました。
イトカワの上のハヤブサは小さかったです。
1945年8月15日、敗戦を迎えた日本はGHQの占領下に入り、航空禁止令が布告され、あらゆる航空研究が禁止されましたが、1957年に日本企業による飛行機の運航や製造の禁止が全面解除となりました。
少し前まで利用されていたYS-11という戦後初の国産旅客機が説明されているビデオが流れていて、模型も展示されていました。
次世代型の旅客機の説明のビデオも流れていました。
ペンシルロケットや、日本初の人工衛星おおすみの紹介がされていました。
H-ⅡロケットやH-ⅡAロケット、H-ⅡBロケットの紹介もされていました。
H-ⅡロケットやH-ⅡAロケット、H-ⅡBロケットと言えば種子島です。
今はイカロスという太陽光を利用したヨットのような船が宇宙を飛んでいて、イカロスの説明がされているビデオも流れていました。
イカロスの1/20の模型も展示されていましたが、かなり大きかったです。
イカロスに使われているヨットのような帆の部分に使われている素材が展示されていて実際に触る事が出来ました。
イカロスに使われているヨットのような帆の部分に使われている素材は金色の薄いアルミ箔みたいでした。
金星探索機のあかつきの紹介もされていましたが、少し前に金星の軌道に乗るのに失敗したからなのか、あかつきの説明が少し修正されていました。
今度金星の軌道に乗るチャンスは6年後位だったと思います。
ほかにもライト式複葉機(手彩色写真)やアンリ・ファルマン複葉機(手彩色写真)、ハンス・グラーデ単葉機(手彩色写真)などの写真もありました。
奈良原式4号機「鳳号」の上に「鳳」という文字が書かれた旗が見えます。
上野の国立科学博物館でやっていた空と宇宙展に行きました。
空と宇宙展というので日本を含めた世界の飛行機や宇宙開発の歴史だと思っていたので私はスプートニクやライカ犬、ヴォストークやヴォストークに乗っていたガガーリン、アポロやアポロの月面着陸に関する展示もされているのかと思っていたのですが、日本の飛行機や宇宙開発の歴史がメインでした。
しかし、最初の 方の展示に紅毛雑話という、天明7年(1787年)に書かれた西洋のの事情が書かれた本にはオランダのリユクトスロープ、リユクトバルという飛行船や気球に関する記事や図が飛行の器として紹介されていました。
1782年にフランスのモンゴルフィエ兄弟が気球の打ち上げに成功しました。
明治10年に西南戦争が勃発した時に熊本城が薩摩軍に包囲されたので連絡を取る為に陸軍が実用気球の開発を依頼しました。
工部大学校(後の東京帝国大学)学生だった明治の高名な学者の志田林三郎と高峰譲吉が気球を開発しました。
陸軍と海軍でも気球を開発し、陸軍では伝統音楽音階研究で名高い上原六四郎が中心となって気球を開発しました。
上原六四郎の写真と上原六四郎への陸軍士官学校気球の開発命令書の書簡が展示されていました。
明治時代の気球飛行の図という版画がありました。
二宮忠八(1866-1936)は早くから空に興味を持ち、鳥型飛行器を開発し、後に飛行作業で殉職された方達の為に京都府八幡市に飛行神社というものを建てました。
二宮忠八はカラスやタマムシなど「自然」に学び、鳥型飛行器と玉虫型飛行器の研究をしました。
鳥型模型飛行器(複製)と玉虫型模型飛行器と二宮忠八の写真と書簡が展示されていました。
玉虫型模型飛行器の操縦席には分かりやすいようにか、人形まで乗っていました。
1903年12月17日、ライト兄弟が初めての有人動力飛行を成功させました。
日本では 臨時軍用気球研究会では、東京帝国大学工学部の卒業生など、飛行機開発に知識を持った人材を集め、積極的に海外に留学させるなど、外国の知識の貪欲な吸収を試みました。なかでも研究会委員であり、フランスとドイツに留学した徳川好敏、日野熊蔵の2名の陸軍大尉は、航空機の研究開発に深く関わるとともに、1910年の日本初飛行のパイロットを務めました。
徳川好敏はフランス製のアンリ・ファルマン複葉機に、日野熊蔵はドイツ製のハンス・グラーデ単葉機に搭乗し、それぞれ国内初の飛行に成功しました。
日野熊蔵は何回か飛行機の開発に携わっていました。
徳川好敏という方も何回か飛行機の開発に挑戦していますが、残念ながら失敗に終わっていますが日本の飛行機の開発の歴史に貢献しました。
ハンス・グラーデ機やアンリ・ファルマンなどのプロペラも展示されていて、実際に動いていました。
エンジンも展示されていました。
日本の名機がいくつか展示されていて、そのうちの一つの奈良原式4号機「鳳号」の模型が展示されていました。
奈良原式4号機「鳳号」の模型の横にOTORIという文字が見えます。
空と宇宙展は2/6までやっていました。

空と宇宙展
http://sora-uchu.jp/
計画停電が実施されました。

懐中電灯は置いていませんでした。
懐中電灯はスーバーや100円ショップでも売り切れていました。
地震の家具転倒防止グッズだけが売り切れていました。
電池は売れていましたが、まだ残っていました。
家の懐中電灯が点かなかったので壊れていると思って新しい懐中電灯を買おうと思いましたが、壊れていると思っていた懐中電灯の電池を交換し、電池の向きを2つ共+極を下向きにしたら点きました。
新しい懐中電灯を買わなくて良かったです。
更に近付きました。
帰りは喫茶店でお茶を飲もうと思いましたが、喫茶店が見当たらなかったので自動販売機で暖かいお茶を買いました。
近くにバス停があり、バス停の時刻表を見るともうすぐバスが来るのでお茶を飲みながらバスを待つ事にしました。
少し経つとバスが来たので乗りました。
東京大仏の前にはお香を焚く場所があり、近くにはお香が売られていて、火を点ける為のライターが置いてありました。
私はお香は買って火を点けて焚きませんでしたが、お香の煙を浴びました。
同じような物は西新井大師や浅草寺にもあります。
東京大仏の隣には池があり、灯篭のような物があり、鯉がいました。
前のページ      次のページ
Powered by Ninja Blog    template by Temp* factory    icon by MiniaureType

忍者ブログ [PR]