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大哺乳類展陸のなかまたちは飛び出せ!科学くんでもやっていて、国立科学博物館の常設展や陸の哺乳類展が取り上げられていて、柳原可奈子さんが狩野英孝さんに電話をして、剥製の良し悪しはどこを見れば分かるかと聞くと、狩野英孝さんは毛並みじゃないの?と言うと、柳原可奈子さんは肛門だと言いました。
大哺乳類展陸のなかまたちの公式マスコットキャラクターのデザインはアランジアロンゾという斎藤絹代さんとよむらようこさんの姉妹ユニットがやっています。
愛・地球博の公式マスコットキャラクターのモリゾーとキッコロやたまごクラブとひよこクラブのたまちゃんとひよちゃんのデザインもやっていますが、私がアランジアロンゾという方達を知ったのは11年前に入った最初の会社の同期の方達との飲み会で同期の方の1人が持たれていたわるもののキャラクターのライターを気に入ってしまい、後日、わるもののキャラクターのライターを持たれていたいた方が、私にわるもののポストカードを下さりまし
た。
わるもののポストカードにはわるいことと書かれていて、例えばポイ捨て、わりこみなどがありました。
インターネットでわるものの事を調べるとわるもののキャラクターデザインはアランジアロンゾという方達だと知りました。
次の年に有楽町の阪急百貨店(最近閉店したのは有楽町の西武百貨店だったと思います。西武百貨店の後にはLUMINEが入る予定です。私はヤマダ電機が入ると思いましたが。近くにビックカメラもありますし、ビックカメラもそごう百貨店の後に入りましたから)でアランジアロンゾという方達の展覧会がありました。
私はわるいほんというわるものが表紙の絵本を買いました。
わるいほんにはわるもののほかにうそつきというキャラクターがいます。
わるいほんにはわるものやうそつきのイラストやわるものやうそつきの人形が載っていて、人形のうそつきが本物の公衆電話からもしもし警察ですと言っていたのが面白かったです。
わるいほんのメインキャラクターはわるものとうそつきです。
わるものやうそつきのほかにも色々なキャラクターが少し紹介されていました。
11年前に入った最初の会社の同期の方から頂いたわるもののポストカードは姉にあげ、10年前の阪急百貨店のアランジアロンゾという方達の展覧会で買ったわるいほんは実家にあります。
10年前の阪急百貨店のアランジアロンゾという方達の展覧会でもわるもののポストカードを売っていましたが、買いませんでした。
買えば良かったです。
確か11年前にも有楽町のキャラクターの展覧会がやっていた事があり、メールソフトのポストペットの展覧会(私はポストペットの展覧会に行った後で風邪を引きました)や、少し後にCMで松嶋菜々子さんが犬の絵本を読んでいて、犬の絵本の作者の菊田まり子という方の展覧会もやっていました。
菊田まり子という方はほかにも絵本を書かれていました。
私は菊田まり子という方の展覧会でCMで松嶋菜々子が犬の絵本とその犬のシャープペンを買いました。
シャープペンは壊れてしまいましたが、今でも持っています。
10年前にはアフロ犬の展覧会に行き、11年前に入社した会社の派遣先の職場でアフロ犬のぬいぐるみを(お菓子のおまけだったと思います)置かれていた方がいて私も欲しくなったのでアフロ犬のぬいぐるみを買いました。
前にアフロ犬のお菓子のおまけのぬいぐるみを見た事があり、その時は買いませんでしたが、アフロ犬のお菓子のおまけのぬいぐるみを買おうと思ったらアフロ犬のお菓子のおまけのぬいぐるみはもうありませんでした。
アフロ犬のぬいぐるみはお菓子のおまけのぬいぐるみよりも高かったのですが、アフロ犬のお菓子のおまけのぬいぐるみはアフロのかつらしか付いていませんでしたが、私が買ったアフロ犬のぬいぐるみはアフロのほかにモヒカンのかつらも付いていました。
私が買ったアフロ犬のぬいぐるみは未開封で母にプレゼントして実家にあります。
今度は甥にプレゼントしようかと思います。
大哺乳類展陸のなかまたちでは1959年に兵庫県の甲子園阪神パークでヒョウとライオンを交配させて誕生したレオポンの剥製がありました。
レオはライオンから来ていると思うのですが、ポンは何から来ているのか分かりません。
多分、ヒョウのパンサーから来ているのだと思います。
レオポンは生殖能力が無く、1代限りなのでそういうものは種と呼ばれない、レオポンのような生き物は倫理上作られなくなったと大哺乳類展陸のなかまたちの新聞に書かれていました。
レオポンは雌のライオンみたいでした。
これは小さいのでマレーバクだと思います。
ベルクマンの法則というものがあり、ベルクマンの法則の説明文には哺乳類は緯度が低くなるにつれて体が小さくなると書かれていました。
日本でも鹿が紹介されていて、北海道の鹿は体高が高く、九州や屋久島の鹿は体高が低いと書かれていました。
大哺乳類展陸のなかまたちは去年の6/13迄やっていました。

大哺乳類展陸のなかまたち
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2010/mammal/riku/

http://www.asahi.com/mammal/t_index.html
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ブリヂストン美術館に行く途中にSTARSのビルの下にブロンズで出来ていると思われる大きなキリンの像がありました。
夫はここからだとくもじいからは見えないと言いました。
ブリヂストン美術館に行く途中に私の見覚えのある建物がありました。
ブリヂストン美術館は東京駅の八重洲中央口から行きました。
確か東京駅の八重洲中央口の方に私が去年の3/8に登録に行った派遣会社があったと思います。
ブリヂストン美術館では「なぜ、これが傑作なの?」をやっていました。
「なぜこれが傑作なの?」では作品の説明があまりありませんでしたが、説明のある所では説明文が長かったです。
古代美術(古代エジプトや古代ローマなど)のコーナーもありましたが、作品の説明はありませんでした。
マネの自画像にも説明文があり、説明文によるとマネは自画像をあまり描きませんでした。
もう1つマネの自画像というかマネの銅像があり、マネの銅像にはマネのアトリビュート(付属物、トレードマークのような物)のパレットと絵筆を持っていますが、ブリヂストン美術館のマネの自画像では何も持たず、左足を前に出し、腰を手に当ててポーズを取っています。
左足を前に出しているのは(自画像では右足を前に出しているように見えますが、自画像は鏡を見ながら描くので左右逆に写ります。鏡2枚を直角にくっ付けると左右逆に写りませんが。これは2年前のお台場の日本科学未来館でやっていたお化け屋敷で科学するで知りました。)、左足が悪く、後に左足を切断する手術を受けますが、数日後に亡くなってしまいました。
夫はブリヂストン美術館のマネの自画像ともう1つのマネの自画像というかマネの銅像を見比べたいのでもう1つのマネの自画像というかマネの銅像の写真を用意して欲しかったと言いました。
去年の4/6にオープンしたブリヂストン美術館の近くにある三菱一号館美術館で7/25迄やっていたマネとモダン・パリ展でもブリヂストン美術館のマネの自画像がありました。
マネとモダン・パリ展で印象に残った作品といえばブリヂストン美術館のマネの自画像のほかにベルト・モリゾの肖像画でした。
マネとモダン・パリ展の作品リストを見るとマネの自画像の所蔵先がブリヂストン美術館になっていました。
三菱一号館美術館で少し前はカンディンスキーと青騎士展をやっていて、それも見に行きました。
カンディンスキーと青騎士展では虎の絵が印象に残りました。
三菱一号館美術館では今は、マリー=アントワネットの画家ヴィジェ・ルブラン展-華麗なる宮廷を描いた女性画家たち-をやっています。
ブリヂストン美術館にはほかにはパブロ・ピカソの腕を組んですわるサルタンバンクという絵や藤島武二の黒扇というイタリア人女性の絵があり、それらの絵にも説明があり、特に黒扇はブリヂストン美術館の設立者の 石橋正二郎が欲しがっていましたが、なかなか手に入らず、やっとの思いで手に入れたので説明文でベタ褒めされていました。
黒扇はマネのベルト・モリゾの肖像画にも似ていると思いました。
パブロ・ピカソの腕を組んですわるサルタンバンクという絵には女性の顔が描かれた跡があり、腕を組んですわるサルタンバンクの隣にもパブロ・ピカソの絵があり、古代ギリシア風の衣装を身に付けた女性の女の顔という絵で、顔が腕を組んですわるサルタンバンクに似ていると思いました。
腕を組んですわるサルタンバンクの絵に描かれた女性の顔は腕を組んですわるサルタンバンクの恋人だと言われています。
腕を組んですわるサルタンバンクの絵に描かれた女性の顔のモデルはパブロ・ピカソが密かに想いを寄せていたサラという女性だと言われています。
ですので、腕を組んですわるサルタンバンクは男性だと思われます。
腕を組んですわるサルタンバンクは模写ですが、中学校の入口にもありました。
サルタンバンクとは最下層の大道芸人の事で、1953年のフェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画の道という映画にも出て来て、そのサルタンバンクは自分の体に巻き付けた鎖を断ち切るという芸位しか出来ません。
道は16、7年前にテレビで途中まで観たので機会があればまた観たいと思います。
腕を組んですわるサルタンバンクは説明文にブリヂストン美術館の目玉で、この作品目当てで訪れる人も少なくないと書かれていました。
ほかには日本画もあり、岡鹿之助が描いた雪の発電所にも説明文があり、訪れた中学生にこの絵はどれ位かけて描かれたのかと聞かれると、ほかの作品ははっきりと分からないので返答に困るが、この作品は3ヶ月掛かった事が分かる、岡鹿之助が弟子に連れられて雪の発電所を訪れたのが2月、この作品を完成させたのが5月だからだと書かれていました。
岡鹿之助の絵は実際の風景をもとにして描く事は少なく、想像上の風景を描く事が多いが、この作品は実際の基にして書いたと説明文には書かれていました。
ほかには、アンリ・マティスの「縞ジャケット」の女性が説明文によると、アンリ・マティスの20才の時の娘で、首にリボン上のネックレスを巻いているのは、アンリ・マティスの娘が幼い時に器官を切開する手術を受け、その手術痕を隠す為だと書かれていました。
説明文にはアンリ・マティスのほかの作品(ブリヂストン美術館にはありません)にもアンリ・マティスの幼い時の娘を描こうとしていましたが、アンリ・マティスの幼い時の娘は消されていました。
この絵にはアンリ・マティスの娘の本当の母親のアンリ・マティスの使用人の女性が描かれていたと書かれていました。
アンリ・マティスの娘は本当の母親を死ぬ迄知りませんでした。
アンリ・マティスの両腕を上げたオダリスクとオダリスクも興味がありました。
アンリ・マティスにもパブロ・ピカソみたいに○○の時代というものがありました。
ルノワールも画商の娘の絵のすわるジョルジェット・シャンパニエ嬢にも説明文があり、ルノワールが描いた幼い少女には、あどけなさが見えるが、幼い少女に絵のモデルをやってもらうためにじっとしているのは辛いものだっただろう、ルノワールはこの少女の一瞬の笑顔を逃さなかった、数年後にはこの少女の両親の画商の夫妻、この少女の弟のポールも描かれた肖像画が描かれました。
ジョルジェット・シャンパニエ嬢が椅子に座り、足を組んで笑顔を見せているのがかわいかったです。
マネやルノワールの時代といえば三代目澤村田之助が亡くなる頃の時代と重なります。
ほかにはパウル・クレーの島という作品に興味を持ちました。
説明文には晩年は皮膚硬化症という病気に悩まされていたと書かれていました。
ブリヂストン美術館にはありませんが、パウル・クレーのといえば天使の絵に興味があります。
先々週はBunkamuraザ・ミュージアムでシュテーデル美術館所蔵フェルメール 《地理学者》 と オランダ・フランドル絵画展を見に行きましたが、節電の影響で5時迄でした。
シュテーデル美術館所蔵フェルメール 《地理学者》 と オランダ・フランドル絵画展は5/22迄やっています。
次の日はまた停電の影響で早く終わると思い、昨日より早く家を出ました。
たばこと塩の博物館でやっていた「役者に首ったけ!」に行きましたが、ここでも節電の影響で4時迄でした。
企画展は終わる前に見終わり、常設展は駆け足で見ました。
たばこと塩の博物館を出た時にたばこと塩の博物館のパンフレットに記念のスタンプを押しましたが、上手く行かなかったので、「役者に首ったけ!」のパンフレットに記念のスタンプを押しました。
記念スタンプはたばこと塩の博物館のシンボルマークで、シンボルマークの由来は、マヤの絵文字に描かれている神の喫煙図をたばこのシンボルとし、マーク下部の2本のの曲線は波で、塩を表しています。
しかし、たばこと塩の博物館に併設されている喫茶店はやっていて、たばこと塩の博物館の受付にあった10%割引券を取って来たのでたばこと塩の博物館に併設されている喫茶店に行きました。
「役者に首ったけ!」では三代目澤村田之助がメインで取り上げられると思いましたが、三代目澤村田之助よりも少し前の坂東しうかなどの役者絵が多かったのですが、二代目澤村田之助の絵や、1枚だけですが、三代目澤村田之助がほかの歌舞伎役者と一緒にいる役者絵がありました。
役者絵のほかに歌舞伎の舞台でも使われる喫煙具などがありました。
三代目澤村田之助の写真は何枚か見ましたが、恐かったです。
三代目澤村田之助の浮世絵は去年、家から歩いた所にある(1/1に行った東京大仏の方です)美術館で、イタリアのボローニャにある浮世絵が日本に里帰りした時に見ました。
三代目澤村田之助の浮世絵の説明文には1865年頃に脱疽という病気に掛かり、四肢を切断したが、舞台に復帰しようとしたが、上手く行かなかったと書かれていました。
三代目澤村田之助はJIN-仁-にも出て来ました。
「役者に首ったけ!」は4/17迄やっています。
ブリヂストン美術館でも節電の影響で早く終わると思い、いつもより早く起きて、早く家を出ましたが、通常通りでした。
「なぜ、これが傑作なの?」は4/16迄やっています。
帰りに喫茶店に寄り、夫がDVDプレイヤーが壊れたというのでブルーレイプレイヤー買う事になりました。
ブルーレイレコーダーは高くて、この前買った地デジのチューナーにUSBメモリを付ければ録画出来るというのでブルーレイプレイヤーを買う事になりました。
ほかには、夫は動画を記録出来るデジタルカメラを持っていますが、デジタルビデオカメラが欲しいというのでデジタルビデオカメラを見ました。
夫は店員の方に普通の電池が使えるデジタルビデオカメラはないか、デジタルカメラではエネループを使っていると言うと店員の方はデジタルビデオカメラは専用のバッテリーの物しかないとおっしゃりました。
夫は小型のディスプレイを机に固定する道具が欲しいと言うのであちこちのお店をまわりました。
お店の中には月にわずかなお金を払い、小さなスペースを貸して、そこに小さなお店を開いたり、博物館みたいにする事が出来るお店がありました。
私は非売品のマクドナルドの腕時計や非売品の初代ウォークマン、非売品のウォークマン発売確か15周年記念の時に登場した金のウォークマンに興味をもちました。
ウォークマンが置かれているスペースのガラスにはウォークマン歴史が年表で紹介されていました。
ほかのお店では単1電池や単1電池が単3電池を単1電池にする道具が売り切れたという張り紙がありました。
夫は単3電池にアルミホイルを巻いて単1電池にする方法を聞いた事があると言いました。
夫は防犯カメラを扱っているお店にならあるかもしれないと言うので、防犯カメラを扱っているお店に行くと、防犯カメラを固定する道具はありましたが、夫は万力のような物で固定する物が欲しかったので店員の方に机にディスプレイを固定したいが、クリップで留める物ではなく、
万力で留めるような物は無いのかと聞くと、店員の方は無いとおっしゃりました。
夫は買うブルーレイプレイヤーを決めました。
そのブルーレイプレイヤーはテレビでYouTubeを観る事が出来て、LANを使う事が出来ます。
またブルーレイプレイヤーとデジタルビデオカメラと見たお店に戻り、三脚やデジタルビデオカメラを見ていると地震が起きました。
ブルーレイプレイヤーを買い、
ブルーレイプレイヤーで使うLANケーブルを買いました。
1Fのパソコンの画面では茨城県で震度5の地震があったというニュースがやっていました。
家に帰り、夫は壊れたDVDプレイヤーをどけてその場所に買ったブルーレイプレイヤーを置き、買ったブルーレイプレイヤーの設定をしようとしていると、夫は買ったブルーレイプレイヤーでテレビでYouTubeを観る事が出来るのは次のバージョンのファームウエアをアップデートしなけ
ればならない事に気が付きました

「なぜ、これが傑作なの?」
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibit/

三菱一号館美術館
http://mimt.jp/

シュテーデル美術館所蔵フェルメール 《地理学者》 と オランダ・フランドル絵画展
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/11_vermeer/

「役者に首ったけ!」
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/1003mar/
何か人がいっぱい集まっています。
来年は確かロンドンオリンピックだと思います。
今度のオリンピックの競技に野球が無いみたいなのが残念です。
夫のお母様が入院するというので入院する荷物を預かって欲しいというので駅で待ち合わせをしました。
本来は夫のお母様の荷物は夫のお母様が入院する時に8/7に花火大会に一緒に行った夫のお母様の妹が持つ事になっていましたが、私の仕事が9月末で終わったのと、8/7に花火大会に一緒に行った夫のお母様の妹が仕事をされていて、その日は平日なので仕事を休まなければならないので夫が私に夫のお母様に電話をして私が荷物を持つと言うようにと言ったので私は電話で夫のお母様の夫のお母様の入院する
時の荷物は私が持ちましょうかと言うと夫のお母様はお願いと言いました。
夫のお母様は私が話をしないとおっしゃりました。
夫のお母様と夫と夫の弟で家の近くの馴染みの居酒屋に行きました。
家の近くの馴染みの居酒屋には猫がいましたが、お店の中には入って来ませんでした。
夫のお母様の荷物の中におかずや果物が入っていて、お母様は荷物を預かってもらうお礼だとおっしゃりました。
夫のお母様の荷物をクローゼットに入れましたが、しばらくして、おかずと果物を冷蔵庫に入れるのを忘れたのに気が付き、おかずと果物を冷蔵庫に入れました。
入院の当日、夫と私は駅の喫茶店で待ち合わせをしました。
夫のお母様は夫のズボンにアイロンを掛けるようにとおっしゃりました。
夫のお母様は私に笑顔の練習をするように言い、夫のお母様も笑顔の練習をするとおっしゃりました。
夫のお母様は余計な心配を掛けるといけないし、気を遣わせるので近所の方と一部の商売仲間には夫のお母様が入院する事を知らせていない、私に私の母には入院する事は知らせなくていいとおっしゃりましたが、私は夫のお母様が入院すると聞いた時に夫のお母様が入院する事を伝え
るとお見舞いに行った方がいいのではないかと言いました。
私は夫のお母様に母に夫のお母様が入院する事を言った事を言いませんでした。
入院の手続きをした後ですぐに検査があるというので検査で夫のお母様が呼ばれると夫と私は夫のお母様と同じ病室の皆様に挨拶をして病院を出て、歩き、駅の喫茶店でお茶を飲み、秋葉原で私のパソコンが壊れたのでHDMI端子がある中古のパソコンを買い、中古のパソコンの入出力端子がアナログだったので
アナログ用のケーブルを買い、買った中古のパソコンにはスピーカーが付いていませんでしたが、ディスプレイにスピーカーが付いていましたが、スピーカーとハードディスクのケースを買いました。
お昼を食べ、帰りの買い物は夫が買った中古のパソコンを持っていたので私だけで買い物をしました。
家に帰り、夫がパソコンの設定をしてくれました。
壊れたパソコンのハードディスクはバックアップを取りましたが、壊れたパソコンのハードディスクを買った中古のパソコンに付けて、買った中古のパソコンのハードディスクを取り出して、買ったハードディスクのケースに入れて、買った中古のパソコンに繋いだら上手く行きました
が、インターネットに繋がらなくなりましたが、中古のパソコンのハードディスクを買った中古のパソコンから外すとインターネットに繋がるようになりました。
買った中古のパソコンにOSとソフトをインストールしました。
私は母に電話をして、夫のお母様が夫のお母様が母に夫のお母様が入院した事は言わなくていいと言われたと言うと、母は夫のお母様が入院した事は言わなくていいと言われた時に母に言ったと言わなかったのかと言うと私は言わなかったと言いました。
母は言われなくても夫のお母様の所にお見舞いに行って夫のお母様に洗濯物があるかどうかを聞き、家に持ち帰って洗濯するようにと言いました。
しばらくして、夫のお母様の手術が成功し、夫のお母様のお見舞いに行く事になりました。
夫と夫のお母様の所にお見舞いに行く前に夫のお母様から頼まれた物と病室の皆様に配るお見舞いの品を買いました。
お見舞いの品はおせんべいだと食べた時にポロポロとこぼすかもしれないので、シュークリームを買いました。
夫のお母様の所にお見舞いに行き、夫のお母様から頼まれた物とお見舞いの品を夫のお母様渡すと夫のお母様は同じ病室の皆様にお見舞いの品を配られましたが、口の中を手術されて食べられない方もおられました。
夫のお母様は8/7に花火大会に一緒に行った夫のお母様の妹も来られて夫のお母様の洗濯物を取りに行ったとおっしゃりました。
しばらくして、夫のお父様も来られて夫のお母様から頼まれた物を夫のお母様に渡されました。
夫のお母様から飲み物をごちそうになりました。
夫の弟は次の日にお見舞いに行く予定でした。
夫のお父様と夫と私は同じ病室の皆様にあいさつをして病院を出ました。
この時から少し寒くなりました。
帰りに夫のお父様と夫と私は池袋の喫茶店に寄りました。
しばらくして夫のお母様が退院するというので私は夫のお母様から荷物を預かった時のお礼のおかずのお返しのおかずを持って行きました。
夫と私で病院に行き、夫のお母様が退院されました。
帰りに池袋のデパートで夫のお母様が入院をされていた時に近所の方達が夫のお婆様の様子をうかがいに来られ、おかずなどを持って来られたのでお礼の品を買おうと思い、催し物で全国の名産品が売られてたのでお礼の品を探しましたが、見付からなかったので諦めました。
同じデパートでお昼を食べ、地下で佃煮を買いました。
佃煮屋さんは少なかったので探すのが大変でした。
佃煮屋さんの近くに料理の作り方の小冊子があったので夫のお母様と一緒に取りました。
佃煮を買った後でロッカーにいれていたお母様が入院されていた時の荷物を出し、お母様の家に行きました。
駅からお母様の家まではタクシーで行きました。
お母様の家で夕飯を食べました。
夕飯の時には夫の弟も来られました。
夕飯には私が持って行ったおかずも食べました。
帰りは夫のお父様が車で送って下さりました。
特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~に行きました。
日比谷公園には幼稚園の頃に何回か行っていて、イベントか何かで小さいSLが走っていたり、アイススケートのスケートリンクがありました。
有楽町には何回か行く事はありますが、日比谷公園に行く機会はありませんでした。
ですので日比谷公園にいくのはとても久し振りでした。
特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~は思っていたよりも混んでいました。
特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~の会場は期間限定なのでエアコンがいくつか設置されていましたが、少し寒かったです。
特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~の会場に入るとレオナルド・ダ・ヴィンチの年表があり、更に少し進とモナ・リザの顔が特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~のナビゲーターだからなのか黒柳徹子になっていて、黒柳徹子が喋っていました。
特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~ではモナ・リザ25の秘密のほかにレオナルド・ダ・ヴィンチが残したメモをもとに機械を再現していました。
飛行機を再現したヘリコプターの原形のような空気スクリューという物や鳥の飛行を応用した飛行機(後になってレオナルド・ダ・ヴィンチは人間の筋力では飛行が不可能だと気が付きましたが)、パラシュートを再現した物もありました。
2000年にパラシュートを再現した物を使ったイギリス人がいました。
レオナルド・ダ・ヴィンチが残したメモをもとに再現した機械はたいてい触れませんでしたが、いくつか触って動かす事が出来る物もありました。
クランクという取っ手を回すと下の玉も回転する物などが触る事が出来ました。(私は夫が説明してくれましたがクランクというものがいまいちよく分かりませんでした)
ほかには車輪が1回転する毎に玉を1つずつ落として進んだ距離を測る機械が興味深かったです。(同じような機械が古代ローマにもありましたが、レオナルド・ダ・ヴィンチが改良しました)
ほかには潜水服に酸素ボンベを繋げた物やマシンガンみたいな物、戦車、レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ故郷の90歳の職人がレオナルド・ダ・ヴィンチのメモをもとに作った半永久的に動く時計が展示されていました。
ほかにははずみ車(フライホイール)という物があり、回転速度を均一にして、運動の維持に必要な力を減少させ、揺れや間欠圧力が加わる時には軸の回転を安定させるのに役立ちます。
自然界に存在する黄金比(確か1:1.68位だったと思います)がダ・ヴィンチ・コードにも出て来た古代ローマの建築家のウィトルウィウスの名前から取ったウィトルウィウス的人体図に使われていて、パルテノン神殿にも使われています。(白銀比というものもあり、確か1:1.5位だったと思います。)
自分の体が黄金比に近いかどうかを調べる事が出来る機械があり、自分の体のおへその位置に黄金比に近いかどうかを調べられる機械を巻き、目の前のウィトルウィウス的人体図と同じポーズを取ると自分の体が黄金比に近いかどうかを調べる事が出来、自分の体が黄金比に近いとあなたの体が黄金比に近いですというメッセージが表示されます。
自分の体が黄金比に近いかどうかを調べる事が出来る機械に人が並んでいましたが、私はやりませんでした。
ほかには最後の晩餐の実物大の復元がありました。
モナ・リザは今は黄色っぽくくすんでいますが、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた当時のモナ・リザを防弾ケース、額からも外して2億4000万画素の高解像度カメラで撮影して再現すると鮮やかなモナ・リザになりました。
再現されたモナ・リザの後ろの板も再現されていて、板が割れていて、修復された跡がありました。
なぜモナ・リザに眉毛やまつ毛が無いのか、当時の女性は眉毛の一部を抜く事はあったが、まつ毛を抜く事は有り得ない、再現されたモナ・リザには眉毛とまつ毛があったとか枯れていましたが、私はいまいち良く分かりませんでした。
モナ・リザはナポレオンの浴槽に飾られた事もあり、その時に付いたしみがあります。
モナ・リザのモデルは誰なのか、ジョコンダ夫人という説が有力だが、レオナルド・ダ・ヴィンチ自身だという説を取り上げたビデオが流れていました。
モナ・リザは1920年代に盗難事件があり、パブロ・ピカソも重要参考人として警察から事情徴収を受けました。
真犯人はイタリア人の修復工で、犯行の動機はモナ・リザを祖国に返したかったからだということです。
1850年代には青年がモナ・リザに石を投げ付けるという事件がありました。
それ以来、モナ・リザは2億4000万画素の高解像度カメラで撮影する迄防弾ケースから出される事もなく、モナ・リザを防弾ケース越しでしか見る事が出来なくなりました。
特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~の会場を出ると、お土産やさんがあり、レオナルド・ダ・ヴィンチが残したメモをもとに再現した機のミニチュアやマグネットなどが売られていましたが、特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~が2/20迄立ったので値引きされていました。
特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~の会場に喫茶店が併設されていましたがそこには行かず、東京国際フォーラムの喫茶店に行きました。
私はケーキ、夫はスパゲッティを食べました。
日比谷公園に噴水がありました。
日比谷公園に着いたのが遅かったのですが、9時迄開いていました。
特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~は2/20迄やっていました。

特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~
http://www.davinci-japan.com/
霧ヶ峰式鷹7号グライダー(電建号)が大き過ぎたので遠くから撮っても全部入り切りませんでした。
空と宇宙展を十分に見る事が出来ず、閉館が5時半だったので最後の方はちゃんと見る事が出来ませんでした。
少し見え辛いですが霧ヶ峰式鷹7号グライダー(電建号)と書かれています。
小惑星探査機はやぶさの実物大の模型です。
はやぶさの実物大の模型は大き過ぎて遠くから撮らないと全部入り切りませんでした。
小惑星イトカワの上に隼が乗っている模型もありました。
イトカワの上のハヤブサは小さかったです。
1945年8月15日、敗戦を迎えた日本はGHQの占領下に入り、航空禁止令が布告され、あらゆる航空研究が禁止されましたが、1957年に日本企業による飛行機の運航や製造の禁止が全面解除となりました。
少し前まで利用されていたYS-11という戦後初の国産旅客機が説明されているビデオが流れていて、模型も展示されていました。
次世代型の旅客機の説明のビデオも流れていました。
ペンシルロケットや、日本初の人工衛星おおすみの紹介がされていました。
H-ⅡロケットやH-ⅡAロケット、H-ⅡBロケットの紹介もされていました。
H-ⅡロケットやH-ⅡAロケット、H-ⅡBロケットと言えば種子島です。
今はイカロスという太陽光を利用したヨットのような船が宇宙を飛んでいて、イカロスの説明がされているビデオも流れていました。
イカロスの1/20の模型も展示されていましたが、かなり大きかったです。
イカロスに使われているヨットのような帆の部分に使われている素材が展示されていて実際に触る事が出来ました。
イカロスに使われているヨットのような帆の部分に使われている素材は金色の薄いアルミ箔みたいでした。
金星探索機のあかつきの紹介もされていましたが、少し前に金星の軌道に乗るのに失敗したからなのか、あかつきの説明が少し修正されていました。
今度金星の軌道に乗るチャンスは6年後位だったと思います。
ほかにもライト式複葉機(手彩色写真)やアンリ・ファルマン複葉機(手彩色写真)、ハンス・グラーデ単葉機(手彩色写真)などの写真もありました。
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